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転職活動で見つけた「声の仕事」に応募したら(前編)

詐欺…? いえ違法なことはなかったと思うんです。ただ転職先を探して行動した結果→なぜかまあまあの金額の講座を申し込みそうになった、という話です。

相場を外れた高額な講座というわけではないです。だから違法ななにかの被害を受けそうになったというわけではないです。ただいつのまにか目的とは違う方向に進んでいたなぁという話。

小説風に書いてみました。
人物の背景、設定、人名、社名などは仮のものですが、大筋は本当に経験したことの前編です。

序章

背景とその会社にコンタクトをとるまで

夏原きょうこ50歳。転職活動はきびしい

数年前、世界で猛威をふるった流行り病の余波で正社員の職を失った。すぐに失業手当は満了、その後の仕事も流行り病が5類という分類になると同時に終わってしまった。
明日には食べるものがないというほど差し迫って困っているわけではない。しかし、年金をいただけるまでには…実際はそのかなり、ずっと前に貯金は確実に底をつく。

登録済の転職サイトの情報を更新する。できればあまり遠くじゃないところ、できればリモートで、体力仕事は無理かも、週5日勤務は体力が不安…て、甘いだろうと思う。思うけれど、とりあえず。

やっぱり甘かった。応募する会社すべてに断られる。書類のみで「残念ですが…」とメールが来る確率が前よりずっと高い。そして、今までは面接まで進んでからの不採用はあまりなかったのに様子がちがう。オンライン面接のせいだろうか? 面接してもバンバン落とされる。あるいは大台に乗った年齢の影響を軽く見すぎたのかも…。

心が折れかけたので、いつもとは違うキーワードで転職情報を検索、そこでひとつの募集記事をみつけた。

転職サイトの募集に「ナレーター」?

会社の名前は「仮々株式会社」。動画コンテンツの作成会社で、動画コンテンツのナレーターを募集しているとのこと。募集要項の、次の1文に惹かれる。

年齢幅広く声を必要としているので、どの年代のかたでもお気軽にお問合せください。

ダメ元で応募した。

20歳のころには、声優オーディション受けたなぁ

一気に記憶をさかのぼる。

大学時代、演劇サークルで自主公演なんかもしていたころ、仲間たちとある事務所の声優オーディションを受けたことがある。場所は代々木あたり、小さなスタジオで、担当の指示でプリントのセリフをくりかえした。
「もっと甘えた声にならないかなぁ。お父さんにおねだりする時みたいに」
鮮明に覚えている指示はこれだけだ。今、あらためて思いだすと、かなり気持ち悪い。

父に甘え声でおねだりをした経験などなかった。そこは何度もやり直しをさせられた。後日届いた結果通知はセリフごとに点数と一言アドバイスもついていたような気がする。合計は…合格点に惜しくも届かない。同封の声優学校のチラシの授業料は40万円。可能性はなかった。

そういえば、電話の仕事もしゃべってお金をもらう仕事だった

店舗の電話受付や、企業内の取次などはかなりヒマだったけれど、直近のコールセンターはなかなか多忙なところだった。シフト勤務だったが、3日連続の勤務で声が枯れていた。
そして、流行り病による社会的な自粛生活、同時期に仕事も変わってしゃべることがなくなった。まったく声を出さない日々に不安を感じた。趣味の朗読をPCで録音して個人のブログで公開をはじめた。ブログは始めたばかりでもあり、ほとんど誰にも見られないので、こっそりつづけている。
しゃべること、声を出すことが好きらしい。

本章 オーディション

仮々社株式会社のナレーター募集、
書類審査を通過し、オンライン面談の案内メールが届いた。

オンライン面談当日

事前にもらった原稿は100文字弱、商品紹介のナレーションふうの早口言葉だった。自分なりに何度か練習して、オンライン面談の時間がきた。参加者は15名ほど、担当者は40代の女性で、面談の流れを説明してくれる。
応募者は全員いったん席を外し、ひとりずつ呼ばれて面談する形式である。

30ほど経過して、わたしが呼ばれた。
まずは原稿を読むように言われ、読む。

夏原さんはどうしてこの仕事に応募を?
事務所には所属していないのですか?

あっさりとしたものだった。
原稿、ちょっと噛んだし…。

そうか、ナレーターで仕事をしているひとは事務所に入っているものなんだ。
事務所にはいって、きちんとナレーションの勉強をしてきたひとが受ける仕事なんだねぇ。そりゃ、そうか。そうだよねぇ。

事前の原稿読みの練習や、オンライン会議のドキドキ。一般人、素人としては楽しい経験ができてよかったという感想。

さあ、気分も変わったし、地道な転職活動を再開しよう!

不採用のメールのあと、担当者から別途メールが届く

結果は不採用。予想どおりでショックもなかった。それよりも驚いたことに、その数時間後に担当者からメールが届いた。

夏原さま、先日はお疲れさまでした。
仮々株式会社、担当の狩野です。
すでにご連絡のとおり、今回の募集については不採用となりましたが、
個人的に、夏原さんの声は素敵だと思いましたのでメールしました。
もし本気でナレーターのお仕事をさがしているのでしたら、ボイスサンプルを登録しませんか。
お仕事につながる保証はありませんが、登録料は無料です。録音はこちらで用意したスタジオで行います。ただし、スタジオまでの交通費や報酬は出ませんので、そこをご了承いただけるのであれば、以下よりご都合のつく日時をお知らせください。
ご連絡をおまちしております。

とのこと。

褒められてホクホクしてしまった。
仕事の保証はないっていうけれど、ボイスサンプルの録音って面白そうじゃない? 
ダメでも、登録しないよりは、登録したほうが可能性も生まれるし…。

青山のマンションにあるスタジオで録音

スタジオというのは、青山のとあるマンションの1室。広めのリビングと思われる部屋には録音用のボックスとベンチ、窓際には機材とパソコンが置かれたテーブルがあった。録音用のボックスは、室内サウナのようだ。

ベンチに腰掛けてまずは挨拶。

狩野さんが再度、会社の説明をする。彼女は小柄で、気さくでほがらかな印象。仮々社が過去に作成したというコンテンツの資料を見せてくれた。聞いたことのない新商品の説明動画のプロットのようだ。

600文字程度の原稿をわたされる。
録音開始。

録音用ボックスに入り、ヘッドフォンをつける。
ボックスのドアが閉められた。
指示はヘッドフォンから聞こえる。
―とりあえず、初見で夏原さんの思ったとおりにやってみてください。
―これはどこで流れる文章だと思いますか?
―誰に向けて訴えるものですか?
―この文章のなかで一番伝えたいところはどこですか?

面白い。
最初は緊張して声がふるえた。
原稿を読んで、ダメだしをもらって、読んで、ダメだし…。何回目かに


―じゃあ、次を最後にしましょう。思い切ってやってみて!
最後の録音後、ヘッドフォンから意外にも弾んだ声。


―よかったんじゃないですか!


本人的にはそうでもなかった。不自然な気もするけれど、弾んだ声で後押ししてくれる存在というのは嬉しい。

ヘッドフォンを外してボックスをでる。

「ではこれをサンプルとして登録しますね。すぐに反響はないかもしれませんが…」

「いえいえ、なんというか、かなり楽しかったです」

「今日やっていただくことはあとふたつ、会社とわたしをLINEに登録していただきたいのです。会社からも、それとわたしからもオーディション情報をお送りします」

狩野さんの名刺をもらって、そこにあるコードを読み込んでLINEで登録。その後、面談のつづきのような、面談にしてはやや気やすい世間話をして解散した。

帰宅後、登録したばかりのLINEでお礼の挨拶をした。すぐに「応援している」と励ましの言葉と、続けてオーディション案件が送られてきた。
仮々社からと狩野さんから、でもそれぞれ別の案件だった。どちらも自分で録音したボイスサンプルを、そのLINEのトークに添付すれば、エントリーを代行してくれるという。仮々社から送られてきた案件は録音した音声のデータ変換が必要で、すこしめんどくさい。
狩野さんから送られた案件のボイスサンプル作りはすぐにできそうだった。スマホでナレーションを録音して、LINEで狩野さんに送信するだけ。エントリー作業は狩野さんが代行してくれるという。

狩野さんの紹介案件でつづけて2件のオーディションにエントリーをした。どちらも採用となった場合にだけ連絡がくるという。
連絡がないまま2週間ほど。

2つとも不採用だったらしい。狩野さんのLINEから、まだ締め切っていないオーディション用に録音サンプルを作成していた。

今まで通りの生活がすこしキラキラしたような

生活はほとんど変化はない。ふだんの生活で声のお仕事のために使う時間は1日に1時間もないだろう。
1日に30分ほど本読み練習。思いだしたときに滑舌の練習。窓の外が静かな時間帯に原稿を録音。
あとから考えれば、この程度の努力でオーディションに挑むなんて甘い。
当時もどうせ受かるはずはないけれど、負担もないから!と思っていたような気もするし、内心では万一にもこれで声の仕事ができたら楽しすぎる!と浮かれていたような気もする。

新しいことに挑戦する高揚感。声を弾ませて背中を押してくれる狩野さんと、応援の声とオーディション情報を届けてくれるLINE。
そんな非日常な気分で楽しくなってきたころ、狩野さんから「別案件なんですが…」とナレーションではなく、アニメ声優の仕事に興味はないかと連絡があった。

ナレーションではなく、声優オーディション案件

声優の新人でのオーディションに興味はあるか?とのこと。
「夏原さんならいけると思うんです」
なぜか狩野さんは、わたしを買ってくれている。
同情かもしれないと思う。転職活動サイトの募集に応募したことで出会った経緯もあるし、現在無職だと知られている。
同情だとしても、期待していると声をかけてもらえるのは嬉しい。
送られてきたオーディションの詳細は以下のとおり

▽○ラジオドラマシリーズの新人枠のオーディション
メインキャラクターは有名な声優だが、その他大勢の役に毎回新人を登用している。今回も3~5名の新人枠のためにオーディションを行う、というもの。
エントリー方法はこれまでと同じでボイスサンプルのみ。
ただし、今回はスタジオ録音にするとのこと。

やらない理由が見つからない。
でも、ナレーターが簡単とはいわないけれど、声優はそれ以上に目指す人数が多い。真剣にめざす人が狭き門にむかって殺到しているような世界のはず、なのに通りがかったからエントリーするなんて、やはり申し訳ないような気もする。

「夏原さんなら大丈夫ですよ。エントリーするなら、先日と同じスタジオでボイスサンプルの録音をお手伝いします」

それでも狩野さんの言葉に励まされ、ついエントリーすることにしてしまう。

ふたたび青山の録音スタジオへ

事前にもらった原稿に目を通しながら、先日と同じマンションへ向かう。
前と同じベンチで、狩野さんから詳しい説明をきいたあと、過去作品の一部も聞かせてもらう。知っている声だ。世界でも有名なアニメシリーズにも出演している声優さんだった。
メインのキャラクターはテレビアニメで主役級の実績のあるプロの声優。脇にあえて数名の新人を使う。ギャラは高くないが、名前もでるし、声優としての実績になる、と狩野さんの説明は力強い。

ここまできて録音しないという選択肢はない。
貰った原稿に目を落とす。
前と同じく、録音ボックスに入る。
指示を受けて、セリフを言う、指示をもらって、セリフをくりかえす、指示をもらって…。

―かなりいいんじゃないでしょうか! これを送っておきますね。
ヘッドフォンから聞こえた狩野さんの声は、今日も明るくはずんでいる。

今回はエントリー用紙に必要事項を記入する必要があった。といっても氏名、電話番号、住所を記入しただけ。
この案件は不採用でも通知がくるとのこと。ぼんやりと不採用のはがきが届くのだろうと思った。

交通費以外は1円も出していないんですけど…?

今さらながら、狩野さんに確認しておきたいことがあった。

  • オーディション情報を送ってくれて、
  • エントリーの手続きも代行してくれていて
  • 録音スタジオで録音を手伝ってくれる

わたしは最初の募集で不採用だったので、狩野さんはわたしに対する義務も義理もない。
というか、狩野さんはわたしのためにただ働きしているのでは? 

「本当にもっと早くにお尋ねすべきだったんですが、わたしはお支払いをしなくていいんですか?」
狩野さんはすこし驚いたように見えた。
「大丈夫ですよ。こちらから声をかけたことですし、夏原さんは一切支払いはありません。わたしが勝手に夏原さんのことを応援しているだけですし………。期待していますよ、頑張ってくださいね」
わたしのどこに期待する要素があるのだろう?と頭のどこかでわかっている。それでも直接こんなふうに期待していると言われるのは嬉しいものだった。

落選の連絡、直後に、再審査を兼ねた無料のオンラインレッスンを紹介される

LINEに狩野さんからドラマオーディション落選の知らせ。狩野さんは今回ひどく残念がってくれた。そして「上司からの提案なんですが…」と前置きをして、オンラインレッスンがあると紹介された。それは、ラジオドラマシリーズの関係者が再審査を兼ねて行うレッスンだそうだ。

「夏原さんなら!」

狩野さんは手放しで応援してくれる。こんなわたしに普通だったら閉ざされている門を開けて、声優へと続く道へ押し出そうとしてくれる。ありがたいのを通り過ぎて、申し訳なさを感じるほどだった。