はじめに
放送済みのアニメ「ハイキュー!!」1期~4期、OVAなどは視聴済みであることを前提にした記事となっております。
あらかじめご承知おきくださいませ。
前回の「非情だな…」の記事に引き続き、烏養コーチ目線でコミック3.4巻を読み返しての考察です。特に注目したのは4巻、第26話「決断」の菅原と烏養コーチとの会話。
具体的に参照にしたのは、以下の通りです。
3巻、第17話「嵐」から全編
4巻、第26話「決断」、第27話「ネコとカラスの再開」、第28話「“鬼”と“金棒”」
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烏野排球部にリベロ西谷とエース東峰が復帰、烏野のフルメンバーがそろいました。
視聴者(読者)の視界も、最初は主人公日向に全力フォーカス→日向と影山の関係→影山メイン→日向の目線でほかのメンバーへ。さらに、烏野チームメンバーについても、日向のフィルターがはずれて、俯瞰でチーム全体が見えるまで広がったところでしょう。
そしてGW合宿。
烏養コーチの最初の仕事はチーム作り。今はセッターに迷っています。ずっと追いかけてきたメインキャラクターの影山で当然? 菅原は安定と信頼。そして個々のメンバーをケアできる人材です。
迷う烏養コーチに菅原が声をかけます。
俺ら3年には“来年”がないです
このひとことから始まる菅原の提案&決意表明。ここは名シーンです。アニメの初見では(以後、10回は観ていますが、毎回…)菅原の言葉で胸がつまり、涙がでます。同時にここまでは面倒見がよくて繊細なキャラクターだと思われていた菅原の、決して折れない強さが印象的です。
が、今回はこれを聞いた烏養コーチに注目します。
菅原の話を聞いて、烏養コーチが大きく変化したことに気づきましたか? わたしは最近、読み返して気づいたばかりです。そして気づいたときには電流が走りました。今さらです…。
今、お前にビビってる
菅原にビビった烏養コーチの心境と、会話の前後で烏養コーチがどう変わったのか。じっくり考察します。「ハイキュー!!」の人物はみんな奥深く描かれていますね。読み返すたびに発見があります。
ぜひ、最後までおつきあいください。
コーチを引き受ける前の烏養繋心
まず、コーチを引き受ける前のこと。アニメでは省かれいた部分から紹介します。武田先生は、烏養元監督の孫で、バレーの経験者だからというだけで選んだわけではありません。ちゃんと関係者に聞き取り調査していて、烏養に指導者の才能があることを見抜いていたのです。
高校、大学時代を通して後輩指導に長けていた。相手チームの分析も鋭かったと聞きました。才能じゃないですか。
烏養くんは、ほめられてちょっと照れてましたよ。
コーチ就任を断っていた主な理由はふたつ
ほめられて照れながら、烏養はコーチへの誘いを断ります。
烏養はプレイヤーとしてバレーを愛していて、バレーに象徴される青春の思い出を大事にしたかったのです。
- 町内会チームのプレイヤーとしてバレーを現役で楽しんでいる。
- 烏野体育館は、どんなに近づいてもけっして戻ることができない青春を象徴する場所であり、その思い出を大事にしたい。
バレーボールを愛しているが、現状のバレーとのかかわり方に満足している。それに武田先生がノスタルジーと表現した大事な思い出を侵食するようなことはしたくなかった。
コーチ就任を引き受けた理由は因縁の対決
最終的に烏養は烏野排球部のコーチを引き受けます。その理由として、武田先生の熱意(しつこさ)にほだされた部分も一部はあるでしょう。が、直接的で大きなきっかけはGW合宿最終日に音駒との練習試合があると聞いたから!です。
対音駒戦、「ゴミ捨て場の決戦」は、烏養にとっては現実の経験でした。噂話で聞いた因縁や実体のない伝統ではなく、自分自身の経験の一部です。
けっして戻ることができない青春まで引き戻す、対音駒戦の練習試合。
しかも音駒の監督は、かつてと同じ猫又監督。コーチは「必ず全国(大会)で会うぞ」と誓い合いながら果たせなった相手。
自分の昔の約束のつづき、選手ではなくコーチという形ですが、この話を受けた瞬間の烏養にとって対音駒戦は自分の約束のつづきです。
引き受けたときのセリフ
あの音駒がくるっつーのに、みっともない後輩を見せてたまるか!
最初は照れかくしかな!と受け止めたセリフです。ここまで武田先生からの誘いを断りつづけていた烏養が、いまさら引き受けるための口実として、ムキになって見せているのだと。
でも読み返すと本心なんですね。自分の昔からのライバルに負けたくない。みっともない後輩を見せたくない。主語は烏養自身。対音駒戦は烏養にとって現実で特別なのです。
照れかくし…も、多少はあるかもしれませんが、烏養にとって、対音駒戦は高校時代のつづきで現実!
コーチを引き受けた瞬間に町内会チームを招集
烏養コーチは初動が早かった。
- チーム作りのために、
- 烏野チームメンバーの現状を把握して
- 音駒と戦うスタメンを決める
烏野の個々のメンバーの実力や現状を把握するための練習試合に、さっそく町内会チームの招集をかける。
そして練習試合中に見て取ったチームの現状は悪くないものでした。
いいじゃねぇか、今の烏野!
影山と菅原、ふたりのセッターのプレーを見たあとの言葉です。圧倒的才能とセンスの1年、影山。そして信頼と安定の3年、菅原。どちらもいい!
だから…、セッターに迷う。
高校時代、控えのセッターだった烏養は菅原の心情に思いを重ねる
武田先生が、セッター選びに迷っている烏養に声をかけます。
迷うのは
菅原君が“3年生だから” というのがあるのでしょうか?
俺が高校3年間でスタメンだったのは、後輩の正セッターが怪我で出られなかった1回だけだった。
あの頃は試合に出してもらえないことが、ただとにかく悔しかった
コーチを引き受けた以上、選手側の気持ちで居るワケにはいかねぇよな…
言葉どおり、烏養はここでは選手側の気持ちでいます。「選手側の気持ちで居るワケにはいかねぇよな…」と、頭ではわかっていても切り替えることができていません。
菅原の決意表明
GW合宿が始まり、菅原は迷う烏養コーチに声をかけます。
菅原はここまで、日向と影山が入部願いを持ってきた日から約1か月、間近で影山の才能や実力を見てきました。チームのための行動を起こしながら、菅原自身の立場や居場所についてもたくさん考えたはず。そしてGW合宿でのあの名シーンです。
MBSで放送されたとき、第11話「決断」この放送回の「ここが面白い!」で1位になったシーンです。
>>https://www.mbs.jp/haikyu/sp/select/list/12518.shtml
俺たち3年生には来年がないです
このセリフから始めさせるのは、ずるいですよね。
わたしは一瞬、菅原の気持ちをぼんやりと邪推。つづく言葉に呆然→猛反省→胸熱→涙。
このときの邪推は、わたしだけではないはずです。憎い演出というヤツですね。
来年がない
烏養の脳裏に、ベンチから試合を見ていたかつての自分の姿が浮かびます。
だから、ひとつでも多く勝ちたいです。次へ進む切符が欲しいです。それを取ることができるのが俺より影山なら、迷わず影山を選ぶべきだと思います。
「ただ悔しかった」過去の烏養とは発想がちがう。
烏養くん的にはかなりショックを受けたのでは? 視聴者(読者)は意外な言葉に意表を突かれます。菅原は目先の結果ではなく、先を見通していた。時間や空間を俯瞰で見つつ、自分が試合にでる可能性を具体的に提案してくる。
影山が疲れたとき、ハプニングがあった時、穴埋めでも、代役でも
烏養は選手側の気持ちと言っていたけれど、「選手側」「指導者側」どれも一色じゃない。一様じゃない。「烏養選手の気持ち」と「菅原選手の気持ち」は別物だ。周囲の環境もちがう、ライバルもちがう、覚悟もちがう。
目の前の試合にも出たい。それが叶わないなら、チームが強くなって、勝ち進んで、試合の数を増やせば、いつか試合にでる可能性は増える!
“3年生なのに可哀想”って思われても、試合に出られるチャンスが増えるならなんでもいい。
正セッターじゃなくても、出ることは絶対諦めない。
その為に、よりたくさんのチャンスが欲しい。
ここは、こうして文字で読むだけで胸が詰まる。これは一般化された控え選手の言葉ではなく、菅原がたどりついた決意であり、覚悟だ。
表情もすごい。すごい決意なのに気負いや悲壮感はなく、むしろ冷静で力強い覚悟の顔。
セッターとして影山との才能や実力差、チーム内での役割もすべて見定めて受け入れたうえで、自分は自分のできることをする。努力もするし、覚悟もある。
準備の時間が1か月あったことを考えても…、いえ、たった1か月でこの境地に達するなんて、菅原という男は人間としてすごいヤツです。
これはビビりますよ。
当時のことを思いだして「選ばれずにただ悔しかった」と言っていた烏養くんとは発想がちがう、覚悟がちがう。でもここで烏養は優劣を考えない。たとえば菅原に比べて自分は小さいなどと考えたら、卑屈な思いが胸に残ってしまう。
ここで素直に、ただ素直に菅原をすごいと認める烏養も、やはりすごい。
天才である影山の存在が菅原の器を大きくした。
その器の大きさを目の当たりにした烏養コーチの心にも、新しい領域が作られた。
みたいな。
比喩がつづきますが、烏養コーチの内部に「指導者としてバレーボールと向き合う領域」ができたのです。今までは「選手としてバレーボールに向き合う領域」しかなかったので、指導者の気持ちに切り替えることができなかった。でも「指導者としての領域」ができたので、烏養がコーチとして本格的に始動できた。
烏養コーチも覚悟を菅原に宣言します。
正直、今、お前にビビっている。
俺はまだ指導者として未熟だが
お前らが勝ち進む為に俺にできることは全部やろう。
これ以降、烏養コーチの目線は一貫して指導者モードです。過去について触れる場合も、ひとつの情報として客観的な言及です。自分の経験も、そのときの感情も指導者として役立てる情報のひとつ。指導者としての目的は、烏野バレー部が勝ち進むこと!
烏養コーチ始動、過去の悔しさは遠くなった
俺ら万年ベンチ暖め組!!
音駒の直井コーチと声をそろえて、笑顔で報告…? さらにつづきます。
“天才”は”ヘタクソ”の気持ちもできない理由もわかんねぇけど、ヘタクソはヘタクソの気持ちもなんでできないのかも良くわかるんだぜ。
話し相手は武田先生です。
ちょっと前に「試合に出られなくてとにかく悔しかった」と言っていた人物とは別人のようです。過去の状況を、情報として消化・吸収し終わったみたいですね。
おまけ 「ベンチ暖め」英語でなんていう?
第28話「鬼と金棒」より
俺ら万年ベンチ暖め組
武田先生に、烏養は音駒の直井コーチと声をそろえて説明します。
英語版:We were eternal bench-warmers.
We were 過去形。
:過去を語る、現在から切り離した表現。現在の状況は不問。
参考:俺たちは永遠かと感じるほど控えの時代が長かったけれど、最近、ようやくスタメンになれた、という文脈だと過去形を使えない。
We used to be eternal bench-warmers.となります。
※ eternal/永遠
天才はヘタクソの気持ちはわからない
“天才”は”ヘタクソ”の気持ちも、できない理由もわかんねぇけど、ヘタクソはヘタクソの気持ちも、なんでできないのかも良くわかるんだぜ。
英語版:
“Gifted players” might have no idea why “sucky” players can’t do what they do or how they feel when they’er left out…
But we sucky players know exactly why sucky players have trouble with stuff and what it feels like to be stuck on the sidelines.
天才/gifted players
ヘタクソ/sucky
英語版は少しすこしまだるっこしく感じてしまう。日本語の口語は省略が多すぎるから、英文を説明的と感じてしまう。
戻し試訳
“天才”は自分がやっていることを、”ヘタクソ”ができない理由や、選ばれないときの気持ちもわからない…
でも俺たちヘタクソは、ヘタクソかどうして苦労しているのかや、メンバーに選ばれないやつの気持ちもよくわかるんだぜ
まとめ
烏養くんは、
選手としてバレーボールを愛していました。
音駒との練習試合があると聞いて、烏養は選手の気持ちのままコーチを引き受けたものの、現役の菅原の決意をきいて、指導者としてのスタートを切りました。
作中の武田先生の言葉から計算すると、烏養は25歳くらい。若者ですが、高校のバレーボール部を舞台にしたこの作品では大人です。指導者、保護者的な役まわりです。そしてかなりの名コーチ。
メンバーが揃い、チームが形を成して、日向たちの成長の舞台が整いつつある。最初の本格的な練習試合、好敵手/ライバル音駒高校の登場。深掘り、考察したい場面や注目したい人物は数え切れません。本当に「ハイキュー!!」は人物もセリフも深い。
英語版もkindleなら簡単に入手できる時代ですねぇ。これでアニメも英語音声や英語字幕で見られたらいいのになぁ。
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